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企業訪問 株式会社増田屋コーポレーション

株式会社増田屋コーポレーション 代表取締役社長 齋藤晴正 老舗の体質を改革しアイディアで黒字へ転換
文化継承事業としての玩具を守る

株式会社増田屋コーポレーション 代表取締役社長 齋藤晴正

創業280余年 日本の玩具の歴史とともに

マスダヤビル
不動産部門として安定しているマスダヤビル。

創業は享保9年(1724)。初代の祖母は将軍家光の乳母で、のちに大奥を統率した春日局(齋藤福)といわれています。歴史に名を残す人物が祖先の増田屋は、玩具の歴史に名を残す数々の名作で発展します。

昭和になると6代目(現社長の祖父)は進取の気性でいち早くブリキ製玩具などの輸出を開始。戦後、玩具は輸出産業の花形となり、玩具業界全体が隆盛な中で増田屋はトップでした。

斬新な動く玩具の開発に力を入れ、昭和20年代に3年連続通産大臣賞を受賞。30年代には世界初のラジコン玩具を開発。「ラジコン」は増田屋が登録商標を所有しています。そして宇宙物、汽笛の鳴る汽車など、名作を次々に開発します。

昭和39年に就任した7代目(現社長の父)はアメリカのハーバード大学で学び、世界青年会議所(JCI)の副会頭を務めながらグローバルな視点で玩具に取り組みます。コンクールで数々の受賞、大ヒット商品によって通産省より輸出実績第1位で金賞受賞など、黄金期を迎えます。

黄金期から赤字へ 改革の苦闘を経て立て直す

ミルクのみ人形
1954年政策、世界初の頭髪を植毛した「ミルクのみ人形」。当初、デパートには求める人の行列ができた。

しかし、1970年代以降からのドルショックやオイルショック、ファミコンブーム、少子化などによって玩具業界は一変します。増田屋の売り上げは激減し、赤字が続く中、平成2年、他社で修業していた齋藤晴正現社長が取締役として増田屋に入社します。

「毎年億単位で赤字を出しているのに社員は誰がみても多過ぎ、ぬるま湯体質に驚きました」

従業員を家族同然に思う7代目の人柄のなせることでしたが、翌年、副社長に就任すると、外堀から社内改革を始めます。まず、朝礼で、全員の前で社員に3分間スピーチをさせました。

「私も修行時代に経験したこのスピーチは頭の整理になり、話をまとめる力がつき、人前での度胸もつく優れた方法です」

世界初のラジコン玩具「ラジコン・バス」
1955年政策、世界初のラジコン玩具「ラジコン・バス」。現在の価格で10万円と高価だったが、よく売れた。

また、給与・ボーナス体系を見直し、多すぎた課長を試験で減らすほか、改革を断行。反発する古参幹部を名誉職に格上げして旧来の体制を変えます。

平成5年、亡き父を継いで8代目社長に就任。父から許可されなかったリストラを実行します。銀行から多額な借り入れをし、十分な金銭的手当をしたうえで希望退職者を募りました。

「家業を縮小するわけなので勇気がいりますし、リストラはつらいものです。しかし結局、オーナーが決断しない限り誰もやってくれませんから」

修行した会社の会長、祖父、父から人間の基本、経営者の資質を学んだ社長の胸の内です。

就任4年半で赤字を黒字へ転換

ソニコンロケット
1957年政策、世界初の音(添付の笛)に反応して動く玩具「ソニコンロケット」。国内外で話題となる。
おさんぽニャンニャンNEWロティー
鳴き声をあげながら動く子猫「おさんぽニャンニャンNEWロティー」。皇室の愛子さまに愛用された。

増田屋には不動産部門があります。輸出玩具の最盛期、莫大な利益を同業者は株や遊興費に使い果たしますが、6代目夫人(社長の祖母)は不動産を購入しました。それが資産価値となり、増田屋を支えてきたのです。

社長は不動産で利益を上げるよう改革します。自社ビルの一つを貸しビルにし、経費のかかる自社物流をアウトソーシングして空いた倉庫を貸します。

「物流コストが削減され、家賃が入るのでダブルで利益を生みます」

数々の改革が実を結び、20年以上続いた赤字を社長就任4年半で黒字に転換させました。経費のかかる社員食堂も止め、そこで8年前、飲食業を始めます。

「食べ物が好きなんです。学生時代から評判の店に通っては味を研究し、コスト計算もしていました。それで食べ物の店を出したのですが、行列ができるほど人気になって6店に増え、利益を上げています」

異業種に進出した飲食業は成長して増田屋を支え、新たなネット販売も期待されています。

日本の玩具文化への使命感
質のよい玩具製造を続ける

社内改革を進める一方、厳密に市場調査を行い、玩具の開発も進めます。水中を熱帯魚が本物のように泳ぐ癒し系玩具、宙に浮いて回転する不思議なコマなど、大人にも受ける斬新さで大ヒット商品を連発します。

5人のギャング
世界的に価値の高い1950年代の増田屋製ブリキのロボット人形「5人のギャング」。特に中央の「マシーンマン」は希少価値からコレクター垂涎の的。1997年ニューヨーク、サザビーのオークションで増田屋が約800万円で落札。日本玩具の宝物でもある。

「玩具・不動産・飲食部門は増田屋の3本柱です。玩具部門はトントンといった状態で、止めたほうが経営的にはらくですが、おもちゃは当社のアイデンティティですし、優秀な日本のおもちゃは文化ですから、継続する使命があります。
玩具業界も様変わりしてキャラクターとデジタル全盛で、趣向をこらした仕掛けで動く増田屋の機械玩具は脇役になりました。でも今の時流に合わせたものはつくりたくないのです」

今は動く乗り物・動物、ラジコンなどの定番玩具を柱に、時代の波を見ながら「夢と遊び心」のある玩具を模索している時期。無理に玩具で利益を出さなくても、安定した不動産部門、可能性のある飲食部門を伸ばすことで支えるという気構えです。

文化事業の一環として岡山県と香川県のテーマパークに「マスダヤコレクションおもちゃ博物館」を開館。自社製品と研究用に買い集めた戦前からの膨大な世界の玩具コレクションは、貴重な玩具の歴史です。また、ニューヨーク近代美術館、パリのルーブル美術館に唯一日本製玩具として増田屋のブリキ玩具が展示されています。

増田屋製ブリキ玩具の数々
歴史を物語る増田屋製ブリキ玩具の数々。かつて輸出産業の花形だった。

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